« 対話が育たない理由 | トップページ | 公・私・公共の三元論(抜き書き) »

2014/05/26

プリンシプルのない漂流国家

2011/12/27

積読状態だった『ねじまき鳥クロニクル』全3巻(村上春樹著)をようやく読み終えた。購入したのが平成9年、14年間も眠っていたことになる。

この本の中に「日本がなぜ漂流し続けるのか」に関するヒントがあった。

「日本という国家が現在の時点で提供できるモデルは「効率」くらいである。(中略) どうすればものごとの効率がよくなるのか、戦後の歳月をとおしてそれ以外の哲学、あるいは哲学に類するものを我々日本人は生み出してきただろうか? しかし効率性は方向性が明確なときに有効な力である。ひとたび方向性の明確さが消滅すれば、それは瞬時に無力化する。(中略) 効率よく間違った方向に進むのは、どこにも進まないより悪いことである。正しい方向性を規定するのはより高度な職能を持つプリンシプルでしかない。しかし我々は今のところそれを欠いている。決定的に欠いている。」 [ 3部鳥刺し男編、pp. 280-281]

プリンシプルとは、共通の価値基盤のこと。冷戦終結後、表だったイデオロギーの対立がなくなり、価値観が多様化している現代、共通の価値基盤を見いだすことはますます困難になってきている。日本には対話の伝統もないため、議論が深まらないうちに、決断を迫られることが多い。「十分な国民的議論をへてから」という識者がいるが、いつまで待っても国民的議論は深まらない。その結果、官僚が国民の代わりに政治家に決断を促し、物事を決めていくことになる。これが(民主主義ではなく)官主主義国家のシステムだ。

閉塞感の元凶は、官僚主義と効率主義だ。自分の声が意志決定にまるで活かされず、知らないところでいつの間にか何かが決まり、その結果が「問答無用」で自分に降りかかってくる。

プリンシプルのない国は危険である。官僚主義が効率主義と結びついた場合、「効率よく間違った方向に進む」可能性がある。

  せっかちに成果求める国になり (田中健一郎 鹿児島)

« 対話が育たない理由 | トップページ | 公・私・公共の三元論(抜き書き) »

中年の主張」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: プリンシプルのない漂流国家:

« 対話が育たない理由 | トップページ | 公・私・公共の三元論(抜き書き) »

無料ブログはココログ