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2012/06/12

昭和と平成を分かつもの (1)

NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」を見ている。ちょっとドジで家族からあまり期待されていない主人公、梅ちゃんこと下村梅子(堀北真希)が、内科医になり活躍するドラマだ。

舞台は、戦後復興期の東京・蒲田。生活の向上を夢見て生きる人々が、いきいきと描かれている。

『三丁目の夕日』シリーズもそうだが、昭和30年代から40年代にかけて幼少年期を過ごした者にとって、なつかしい風景がたくさんでてくる。あの頃は楽しかったなあ、としみじみ思う。

なぜそんなに楽しかったのか。

それは単に無邪気で無責任な子どもだったからではない。なんというか、うまく言えないが、それはあの時代が醸し出す、やわらなか空気によるものだと思う。

今もありあり浮かぶのは、薄暮の時間に漂う、煮物の醤油のにおい、遠くで聞こえる「ごはんだよー」の声・・・。


いつ頃から日本は変質してしまったのだろう。(昭和と平成の日本が、まるで異質な国に思えるのは小生だけ?)

昭和と平成の違いを一言で言うと、選べる社会(平成)か、そうでない社会(昭和)か、である。

言うまでもなく平成の日本は、生活のあらゆる場面で格段に選択肢が増えた。お金さえあれば買えない物などないようだ。(昭和は、仮にお金があっても物自体ないこともあった。)

「選択肢の多さ イコール 豊かさ」と長年思ってきたが、ここにきて、そうとも言えない気がしてきた。

例えば次の話は、昭和と平成の違いを知る上で象徴的である。

昭和のおせち料理は、品数が少なかった。せいぜい、黒豆や伊達巻き、昆布巻き、田作り(ごまめ)、カマボコなど。数の子が入っていたらもうけ、という感じだった。海老や鯛などはもちろん入っていない。(少なくとも庶民のおせちには。)

だから昭和の子には、選択肢が少なかった。すべての料理を少しずつ食べるしかなかった。(好き嫌いがあると食べるものがなくなる。)その結果、栄養のバランスが取れていた。

一方、平成の子は選択肢が広い。特に近頃は、有名デパートに四の重まである豪華なおせちを注文する家も増えている。鮭の塩焼き、鰤の照り焼き、海老の酒蒸し、蟹爪、いくらサーモンにローストビーフ・・・。和洋中折衷のものもある。

その結果、平成の子は自分の食べたいものばかり食べ、栄養が偏ってしまう。

皮肉にも、選択肢が多いことで、健康上マイナスになっている。


昭和にあって平成に無いものはいろいろある。

力道山のプロレス、それを中継する街頭テレビ、沢村忠のキックボクシング、にぎわう銭湯、ダイヤル式の黒電話、星一徹のちゃぶ台返し・・・。

「チャンネル争い」もその一つだ。イメージのわかない平成人に説明すると、これは見たいテレビ番組をめぐる兄弟(親子、夫婦)間のチャンネル争奪戦である。当時は、リモコンなどまだ無く、テレビ本体、通常画面右上にダイヤル式のチャンネルがついていた。それを兄弟で右に回したり左に回したりして奪い合うのだ。(そのため取れてしまったダイヤルもかなりあったに違いない。)テレビが家族一人に一台あるような時代の子どもには、想像できない光景だろう。 

余談だが、ブラウン管テレビは当時、家具の一種だった。重厚なデザインが多く、木目調だったりして、茶の間でひときわ存在感を放っていた。中には観音開きの扉がついているものさえあった。扉のないテレビは、ブラウン管を「保護する」ため、映画館の緞帳よろしく、布をかけたりした。

ブラウン管テレビに慣れ親しんでいた昭和人が、初めて薄型テレビを買ったときの感動は、次の川柳によく表れている。


  電器屋で テレビ1枚 買ってきた (平山猛 北九州)


このチャンネル争いは、兄弟の絆を強める役割も果たした。ケンカも一種のコミュニケーションであり、ケンカを通じて深い兄弟関係ができたのだ。(あるいは、譲り合う精神を身につけたり、力の強いヤツには絶対かなわないことを学んだ。) 

その他、昭和にありふれた光景として、近所の人との調味料の貸し借りがあった。味噌や醤油が切れたとき、ちょこっと借りに行く。物がないおかげで、隣人との関係が密になったのである。

困っている人が何か頼んできても迷惑と思わない。そういう空気が昭和にはあった。お互い様だからだ。おすそ分けも頻繁で、物の少ない時代だったからこそ、ありがたかった。

仕事の面でも昭和人は助け合った。親戚同士の絆も強かった。


「・・・困っているときにひょいって手を出してくれる人がいるとすごくうれしいでしょ。で、次は私も誰かを助けようって思うの。そうやってみんなが幸せになれるんじゃないのかなあ。」(『梅ちゃん先生』6月13日放送分の中での梅子の台詞)


けれども人は、困らないと人の助けを必要としない。

それに、平成は昭和に比べて、困ること自体少なくなった。困っても人に頼むのが下手になった。頼む経験を積んでいないからだ。迷惑をかけてはいけないと、自己規制をかけてしまうことも多い。

だから、本当に困ったとき(→ 災害時)に助け合う力が弱くなっている。


便利さが加速する社会は、物に囲まれた社会だ。周囲に物があふれている分、物に心が奪われ、人のつながりが弱くなる。

3.11以後の日本をどんな社会にしたいのか、私たちの生き方の問題として考え、軌道修正しなければならない。そしてその際、昭和のある時期に漂っていた「やわらかな空気」がヒントになると思うのである。

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