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2011/12/10

もっと対話を!(3/3)

対話を阻むものは、日本人の心の中にあります。おそらく次のキーワードと関係があるでしょう。

遠慮、おもいやり、和を重んじる心、タテ社会、先輩後輩、官僚主義(由らしむべし、知らしむべからす)、巧言令色少なし仁、物言えば唇寒し、男は黙って…

一見して、儒教的道徳観を反映した言葉が多いですね。

さて、対話が大切と書いてきました。対話が人を成長させると思うからです。

異なる価値観を持つ人と接触することで、人は自分の立ち位置が見えてきます。外国に暮らすことで日本のことがよくわかった、とはよく聞く話です。また、対話ができる国はガラパゴス化することなく異文化のロジックにも対応、適応できます。世界の潮流からから離されることもありません。

日本人は地理的に辺境な位置にある島国に住み、異民族との接触も少なく、ましてや支配されることもありませんでした。この地理的、歴史的事情から、「以心伝心」に見られるような、言葉に頼らない独自のコミュニケーション・スタイルが生まれました。価値観が比較的均質な日本だからこそ可能だったのです。

しかし現代社会は価値観が多様化し、同じ日本人でも同じ価値観を持っているとは限りません。そのような状況で、昔ながらの非言語的あるいは上意下達的コミュニケーション・スタイルを取れば、どうなるでしょう?人々の心の中にストレスを生み、鬱病患者を増やすことになってしまいます。「おぼしき事言わぬは腹ふくるるわざ(徒然草)」であり、和を表面的に重んじる組織は、「和して同ぜず」のメンバーばかり増えて、ベクトルの方向がそろいません。つまり、チームとして機能しない。


大人とは、自分を客観視でき、論理的に自分の考えを他者に伝えることのできる人のことです。

対話の経験を通して客観性と論理性を身につけることができます。しかし実際は、年齢的に「大人」でも、精神的には子どものままの人がいかに多いことか。

国会議員もそうですね。大臣の失言などは、自分が主観的世界の中に生きていることの現れです。

国会の論戦を見ていても、与野党それぞれ予め結論があって、平行線の議論を永遠とやっている。中には、首相に対して敬意のかけらも見られない議員もいる。相手にリスペクトを払うのは、対話の大前提です。そもそもこれがなければ、対話など成り立つはずもありません。

マスコミが勝手につけた「ねじれ国会」という言葉も問題です。二院制なのだから、衆参で多数党が異なるのは想定内のことです。むしろ議会制民主主義が正しく機能していると考えるべきでしょう。そして与野党は、このような状況だからこそ、数の力に頼るのではなく、質の高い議論を闘わせなければならない。所属政党の利害関係に拘泥することなく、より高次の視座から、国益全体を見渡して、一つ一つ課題を解決していかなければならない。野党が、問責決議のためのターゲット探しに血道を上げている姿は嘆かわしい限りです。「ねじれている」国会だからこそ、ここは腕の見せどころと、活発で建設的な議論を闘わせて欲しい。

まあ国会議員を責めてもむなしいですが…

 国民が 選んだ政治家 しかいない (万能川柳:富士見 埼玉海人)

実際対話は、家庭でも学校でも教えられてこなかった言語技術で、そもそも意見を言ったり質問したりすることを歓迎しない風土では、身についていないのが普通かも知れません。

しかし、あんたはあんたの好きなようにやればいい。その代わり俺は俺の好きなようにやらせてもらう式はよくない。

まあここはひとつおだやかに、と丸く収めてもばかりいても進まない。その場しのぎというのは、一種の先延ばしです。

物事を決定するときには、自分の意見とその背後にある価値観をさらけ出すリスクを負わなければならない。その勇気のない人たちからなる社会は、前に進まない(閉塞した)社会です。集団の中に隠れ、空気を読んでばかりいても何も変わらないのです。

参考図書:
『対話のない社会』、中島義道著
『不都合な相手と話す技術』、北川達夫著
『対話のレッスン』、平田オリザ著



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